きょうの聖書の言葉(あなたの心を育てるために)
4月 9日(木) 旧約聖書939ページ 詩編(しへん)103編(へん)1節(せつ)
「わたしの魂(たましい)よ、主(しゅ)をたたえよ。わたしの内(うち)にあるものはこぞって聖(せい)なる御名(みな)をたたえよ。」(“主(しゅ)”は神をあらわす表現です。)
創造者(そうぞうしゃ)である神を礼拝(れいはい)する目的は、静まって私たちの心の関心を上に、つまり創造者(そうぞうしゃ)である神に向ける時です。ふだん私たちの心の関心は横に向いていますが、礼拝では、神をほめたたえ、神の言葉である聖書にきこうとするのです。そうすることで、あなたや私の心が成長し大人になります。大人になるということは、やりたい事よりもすべき事を選ぶことができる人になるということです。
4月10日(金) 新約聖書431ページ Ⅰペトロの手紙2章24節
「(イエスは)十字架(じゅうじか)にかかって、自(みずか)らその身(み)にわたしたちの罪(つみ)を担(にな)ってくださいました。わたしたちが、罪(つみ)に対して死んで、義(ぎ)によって生きるようになるためです。」
きょうはキリスト教会のカレンダーでは受難日です。約2000年前、人となって来られた神の子イエス・キリストが十字架にかかり死なれた日です。なぜ救(すく)い主(ぬし)であるイエスが十字架にかかり死んでいかれたのか?それは、私たち人間の罪(つみ)、つまり、神に喜ばれないことをする罪(つみ)の罰(ばつ)を引き受けるためでした。そして私たちが、正しいと認(みと)められて活き活きと生きるためです。
4月11日(土) 旧約聖書835ページ 詩編(しへん)1編(へん)2~3節(せつ)
「主(しゅ)の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡(めぐ)り来(く)れば実(み)を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄(はんえい)をもたらす。」(“主(しゅ)”は神をあらわす表現です。)
人間が、川のそばで水分(すいぶん)と養分(ようぶん)を吸いあげて豊かな実を結ぶ木にたとえられています。「主(しゅ)の教え」、つまり聖書の教えに信頼して声に出して読む人は、主(しゅ)なる神の祝福(しゅくふく)を与えられると約束されています。神の祝福(しゅくふく)とは、私たちの歩みには、好ましい事と好ましくない事がありますが、いずれも神からの最善(さいぜん)の出来事(できごと)と受(う)けとめることができることです。
4月12日(日) 新約聖書320ページ Ⅰコリントの信徒への手紙15章3~5節
「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬(ほうむ)られたこと、また聖書に書いてあるとおり3日目に復活(ふっかつ)したこと、ケファに現(あらわ)れ、その後12人に現(あらわ)れたことです。」
きょうはイースター(復活(ふっかつ)祭(さい))、イエス・キリストが死んで3日後に二度と死なない体をもって復活(ふっかつ)されたことを記念する日です。イエスは死んで3日後に復活され、その後、天に帰られ、今もイエスは生きておられる方です。そして誰でも探(さが)し求(もと)めるならば、生きておられるキリストに会うことができるのです。
4月13日(月) 新約聖書9ページ マタイによる福音書6章9~10節
「天におられるわたしたちの父よ、御名(みな)が崇(あが)められますように。御国(みくに)が来ますように。御心(みこころ)が行われますように、天におけるように地の上にも。」
朝の礼拝では「主(しゅ)の祈(いの)り」を一緒に声を出して祈ります。「主(しゅ)の祈り」とは、主(しゅ)イエス・キリストが弟子たちに教えられた祈りです。9,10節で、イエスは3つのことを祈るよう勧(すす)めています。①神の名前がほめたたえられるように。②御国(みくに)、つまり神の支配(しはい)が人々のうちに広がるように。③御心(みこころ)、つまり神の考えや計画がこの地上に実現するように。
4月14日(火) 新約聖書9ページ マタイによる福音書6章11~13節
「わたしたちに必要な糧(かて)を今日(きょう)与えてください。わたしたちの負(お)い目(め)を赦(ゆる)してください、わたしたちも自分に負(お)い目(め)のある人を赦(ゆる)しましたように。わたしたちを誘惑(ゆうわく)に遭(あ)わせず、悪い者から救(すく)ってください。」
「主(しゅ)の祈り」の後半の3つです。①きょう生きるために必要なものを与えてください。②神に対してした私の悪いことを赦(ゆる)してください。私も自分に悪いことをした人を赦(ゆる)しましたように。③私たちを悪の誘惑(ゆうわく)にあわせないでください。悪い者である悪魔(あくま)から救(すく)い出してください。
4月15日(水) 新約聖書357ページ エフェソの信徒への手紙5章8節
「あなたがたは、以前(いぜん)には暗闇(くらやみ)でしたが、今は主(しゅ)に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。」
本学園のモットーです。人間は、かけがえのない尊(とうと)い存在(そんざい)として神に生かされ、大切にされるものです。また誰でも、キリストに信頼して歩むならば、聖書の神の言葉から希望、忍耐、勇気を与えられて「光の子」らしく内側から輝いて生きることができる約束です。どのような状況にあっても、あなたも内側から輝いて光の子らしく歩むことができるのです。
4月16日(木) 新約聖書379ページ Ⅰテサロニケの信徒への手紙5章18節
「どんなことにも感謝(かんしゃ)しなさい。」
一日の授業が終わると終礼拝(しゅうれいはい)がクラスで行われます。きょうの歩みが主(しゅ)なる神によって守られたことを感謝するためです。毎日の出来事(できごと)にはうれしかった事・楽しかった事とそうではない事があるでしょう。なかには感情的には感謝できないこともあるでしょう。でも、神は最善(さいぜん)のことをしてくださると考えて、“感謝(かんしゃ)します”と声を出しましょう。どんなことにも感謝する人を神は祝福(しゅくふく)してくださいます。
4月17日(金) 旧約聖書1ページ 創世記(そうせいき)1章1節
「初(はじ)めに、神は天地(てんち)を創造(そうぞう)された。」
旧約(きゅうやく)聖書(せいしょ)の「旧約(きゅうやく)」とは旧(ふる)い契約(けいやく)という意味です。この世界を造(つく)られた神がイスラエル民族(みんぞく)と契約(けいやく)を結ばれた歴史(れきし)を記(しる)した書(しょ)です。従って、旧約聖書の内容は、基本的に神とイスラエル民族によって織(お)りなされた歴史が書かれています。旧約聖書の最初の言葉は、「初(はじ)めに、神は天地(てんち)を創造(そうぞう)された」です。つまり、この宇宙とすべてのもの、あなたも私も創造者(そうぞうしゃ)である神によって目的と意味があって生かされているのです。
4月18日(土) 新約聖書210ページ ヨハネによる福音書20章31節
「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名(な)より命(いのち)を受けるためである。」
新約(しんやく)聖書(せいしょ)の「新約(しんやく)」とは新(あたら)しい契約(けいやく)という意味です。単一(たんいち)のイスラエル民族との契約(けいやく)である旧約(きゅうやく)聖書(せいしょ)とは対照的(たいしょうてき)に、新約聖書は、キリストが来(こ)られた後、全世界の人々と神が結ばれた契約(けいやく)の書(しょ)です。旧約・新約聖書が書かれた目的は、約二千年前、この地上に人となって来られた神の子イエスがメシア、つまり救い主と信じて、永遠(えいえん)の命(いのち)を受けるためです。あなたも私も、永遠(えいえん)に生きる命(いのち)を得(え)る道(みち)が備(そな)えられているのです。
4月19日(日) 新約聖書167ページ ヨハネによる福音書3章16節
「神は、その独(ひと)り子(ご)をお与えになったほどに、世(よ)を愛された。独(ひと)り子(ご)を信じる者が一人も滅(ほろ)びないで、永遠(えいえん)の命(いのち)を得(え)るためである。」
聖書の内容を一節であらわしている句(く)です。この世界を創造(そうぞう)された神は、世(よ)の人々を愛されています。神の愛は、キリストがこの地上に来られたことによりあらわされました。すべての人が神の独(ひと)り子(ご)イエス・キリストに信頼(しんらい)することにより永遠(えいえん)の命(いのち)を得(え)る道が備(そな)えられたのです。あなたも私もイエス・キリストに信頼(しんらい)して歩むならば、永遠(えいえん)に生きることのできる命(いのち)をもつことができるのです。
4月20日(月) 新約聖書330ページ Ⅱコリントの信徒への手紙4章18節
「私たちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠(えいえん)に存続(そんぞく)するからです。」
神の子イエス・キリストは、私たちの願望(がんぼう)(見えるもの)を実現(じつげん)する道具(どうぐ)のような方(かた)ではなく、見えないもの、つまり私たちの心・人格・人間性などを育てる方(かた)です。見えるものは、やがて消えてなくなりますが、見えないものは永遠になくなりません。私たちは、見えないものである私たちの心・人格・人間性などを育てることを求めていきたいものです。
4月21日(火) 新約聖書417ページ ヘブライ人への手紙12章5~7節
「わが子よ。主(しゅ)の鍛錬(たんれん)を軽(かろ)んじてはいけない。主(しゅ)から懲(こ)らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛(きた)え、子(こ)として受け入れる者を皆(みな)、鞭(むち)打たれるからである。あなたがたは、これを鍛錬(たんれん)として忍耐(にんたい)しなさい。」
私たちは、試練(しれん)や困難(こんなん)にあうことがあります。それは神があなたを愛する者として訓練(くんれん)しておられる時です。そして私たちは忍耐(にんたい)するように求められています。忍耐(にんたい)とは、単に我慢(がまん)することではなく、途中(とちゅう)で投げ出さない、あきらめないという意味です。あなたや私が、試練(しれん)の中で、忍耐(にんたい)して歩むならば、豊かな心・人格・人間性を得ることができるのです。
4月22日(水) 新約聖書312ページ Ⅰコリントの信徒への手紙10章13節
「あなたがたを襲(おそ)った試練(しれん)で、人間として耐(た)えられないようなものはなかったはずです。神は真実(しんじつ)な方です。あなたがたを耐(た)えられないような試練(しれん)に遭(あ)わせることはなさらず、試練(しれん)と共(とも)にそれに耐(た)えられるよう、逃(のが)れる道(みち)をも備(そな)えていてくださいます。」
試練(しれん)を与えられる神は、重要(じゅうよう)な原則(げんそく)を立てておられます。それは、“その人に耐えられない試練は与えない”ということです。誰でも試練(しれん)に遭(あ)えば悩(なや)み、悲(かな)しみ、「なぜ私が…」と戸惑(とまど)います。でも安心(あんしん)しましょう。“神は、耐(た)えられないような試練(しれん)に遭(あ)わせることはなさらず、その人が忍耐(にんたい)できるように逃れる道を備えておられる”と約束されているからです。そして忍耐(にんたい)すれば、私たちは人間として必ず成長(せいちょう)できるのです。